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おかしら日記
2015.03.09

「春に思うこと:上野駅に降りた人々」|高木 安雄(健康マネジメント研究科委員長)

3月14日の春のダイヤ改正で宇都宮線(東北本線)・高崎線・常磐線が東京駅で東海道線とつながり、東北縦貫線は「上野東京ライン」として、北は前橋・黒磯・取手・成田、南は沼津・伊東まで一本の電車で移動できることになる。「上野発の夜行列車降りた時から~」の演歌ではないが、北の玄関口である上野駅を始発駅とする列車はますます少なくなり、その地盤沈下を心配するのは私一人ではないだろう。
はるか昔、私の同級生が大学に合格して、喜び勇んで上野駅に降りたら、家出の青年と間違われて、警察官に尋問された話がある。上野駅には家出の少年少女を監視する体制が敷かれており、春は進学・就職と共に家出の季節でもあった。その同級生は学生服を着て、風呂敷包みを抱えていたというから、田舎の家出青年と間違われるのは当然だ、警官の方が正しいと皆で笑ったものだ。
上野駅は周知の通り集団就職の到着駅でもあり、人生の始発駅でもある。「三丁目の夕日」の自動車修理屋・鈴木モータースに代表されるように多くの若者が上京して、新たな人生をスタートさせた。それは啄木の時代から変わらない。まさにわが国の高度経済背長の原動力となったわけだが、中には挫折を繰り返して、敗者復活戦に敗れ続けた人生もあろう。「われわれは明日のジョーである」と叫んでも、その通りにはならないのが人生である。最近の高齢者世帯の生活保護受給者の増加はそれを物語っている。
先の同級生は故郷に戻って高校教師になり、定年退職しているが、同じ上野駅に降り立った者でも、大学進学と集団就職というスタートラインの違いはその後の人生にまで及ぶのである。藤沢駅で黒磯行きの電車に出会ったら、故郷に住む友を思い、わが青雲の志を振り返ってみよう。