MENU
おかしら日記
2004.07.01

カール・マローンと孫福弘|熊坂賢次(環境情報学部長)

6月16日、NBAのファイナルに決着がついた。デトロイト・ピストンズがロサンジェルス・レイカーズを100−87の大差で破り、4勝1敗でチャンピオンになった。ディフェンスがしっかりしていたので、終わってみれば、当然の結果なのかな、と思う。シャックとコービーばかりか、ゲイリー・ペイトンをいれ、さらには、なんとカール・マローンまで入れて勝ちにいったのだから、「これで負け!?」と言いたいくらい、フィル・ジャクソンはかっこ悪かった。でも、不幸は、やはりマローンにあった。永遠のユタ・ジャズと恋人のストックトンと別れて、素直にチャンピオンリングに憧れてレイカーズに入ったのに、最後は怪我で試合にも出場せずに、すべてが終わってしまった。マローンは、やはりジャズでストックトンとの絶妙のコンビのまま引退した方がよかった、とつい思ってしまう。でも、永遠を裏切ったのは、マローンがあまりにも偉大だったからなのだ。

6月17日、孫福さんが死んだ。

亡くなったなんて、気取った言葉は使えない。壮絶な死だし、無念だったろう。自分で救急車を呼び、にもかかわらず病院に入るころには、もうだめという状況だった。最期まで、生きてやるべきことを全うする意志をもっていたのだろう。もしもまだSFCにいたら、こんなことにはならなかったはずだ。しかし横浜市長に懇願され、横浜市大の改革のトップとして活躍し、これ以上の適任者はいないという評価で、改革のリーダーをやってきた。しかもSFCをモデルに改革の意欲に燃えていた。ぼくも、そのお手伝いに出かけて、市大の改革会議でSFCのカリキュラムの先端性を吹聴して、孫福さんを応援した。そう、確かにそんなこともあった。つい最近のことなのに、あまりにも遠い過去のことだ。

孫さんには、やはりSFCが似合う。90年の開設時の事務長としてSFC全体を仕切っていたあの颯爽としたかっこよさは、慶應の事務のスマートさを象徴していたし、SFCの教授として最後に大学行政を語る姿には、実践する学問への情熱があふれていた。だからSFCにとどまるべきだったのだ、なんてガキのような戯言は言わない。横浜市大で最期、それでいいのだ。それが孫福さんなのだ。偉大だから、次が待っていたのだ。

(掲載日:2004/07/01)

→アーカイブ