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おかしら日記
2005.07.11

一身にして二生を経る|小島朋之(総合政策学部長)

「ああすればよかった」、「こうしなければよかった」。人生はこうした悔恨と反省の繰り返しである。それゆえに、「今度、生まれ変われるならば」「私は貝になりたい」といった転生願望が絶えることがないのであろう。

動植物への生まれ変わりの気持ちはなかったが、私にも転生願望がなかったわけではない。幼い頃には博多にすんでいたこともあって、高倉、豊田、中西、大下、関口、河野、仰木、日比野そして稲尾の西鉄ライオンズ(残念ながら、知っている人が少なくなりましたね!)が全盛時代で野球選手になりたいと思っていた。またNHKテレビの人気番組であった『事件記者』をみて新聞記者にもなりたくなり、ヘディンの『失われた湖:ロブ・ノール』を読んで西域探検家にあこがれたこともあった。法学部4年の7月、就職試験解禁の際には新聞社の試験を受けるか、大学院の塾内進学試験を受けるか、悩んだこともなつかしく思い出される。

あれもこれも、人生1回ではなれそうにないということで、生まれ変わってみたいとの「転生願望」がでてくるのであろう。しかし、60歳をすぎたいま、「転生」願望はまったくない。一つに「転生」して、またこの人間世界で苦労するのは御免蒙りたいとの気持ちが強いからだ。いま一つに、まだまだ遣り残したことがあり、遣り残しをやり切るにはこれまでの経験を生かせそうだという想いがあるからであろう。中国研究では白川静先生という90歳を超えて大著をものにする大家がおり、恩師の一人である竹内実先生は80歳を過ぎて『欲望の経済学』という中国経済研究の著書を出版された。80歳まで生きれるかどうか、覚束ないが、そのときになお中国研究を続けている自分を見てみたいと思う。

さらに、「一身にして二生を経る」こともありうるのではないか、との想いもある。福澤諭吉先生は『文明論之概略』の中で、明治維新の前と後という時代の根本的な転換を経験したことを、こう表現した。いま世界は、そして日本は大きな時代のパラダイム・シフトに直面している。その意味で、私も「一身にして二生を経る」ことになるかもしれない。しかし、深く「一身にして二生を経る」のは、SFC世代の皆さんである。皆さんが21世紀の『文明論之概略』を著すことを期待したい。

(掲載日:2005/07/11)

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