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おかしら日記
2004.10.25

30年目のREUNION|小島朋之(総合政策学部長)

10月16日、HCD(ホーム・カミング・デー)で卒業生たちがSFCに戻って来た。卒業生同士の結婚式が挙行され、平高先生も加わったオーケストラの演奏で祝福された。演奏といえば、村井先生のバンドも登場した。中国語履修の同窓会をはじめ、多くの先生の研究室も卒業生と現役学生の交流で賑わった。

そして私も楽しみました。昨年からHCDの恒例行事となった研究室対抗のフットサルに今回も参加し、熊坂研との試合で初ゴールをゲットしました!滑って転んだところに相手チームの学生たちが心配して駆け寄ってくれた隙に、同点ゴールをあげて、敗戦を免れました!しかし、そのツケは大きく、いまだに筋肉痛がとれません。

私にとって思い出にのこるHCDは色々あるが、最近では2001年11月に30年ぶりに実現したアメリカでのREUNIONだ。1969年から72年まで約3年ほど、カリフォルニア大学バークレー校の博士課程に留学し、数ヶ月の寮生活の後は、アメリカ人のアジア研究を専攻する大学院生たちと一軒家を借りて一緒に暮らした。こうした共同生活の場所を当時はコレクティブといったが、友人の友人、そのまた知り合いなどの繋がりで、アジア研究とはまったく関係のない20名近くの男女学生たちと一緒に暮らしたことになる。時はベトナム反戦の時代で、多くの学生たちがアジア研究を捨て、いまでは医者、弁護士、音楽教師などに転進している。研究職は私以外では、カリフォルニア大学ロサンジェルス校で国際政治を教える女性、一人だけである。

2001年11月にボストンでの会議の途中に西海岸にも立ち寄るとの連絡を、なお交流のある同居した友人に入れると、一緒に生活した連中とのREUNIONをやろうということになった。同時多発テロの9・11後の不穏な状況にもかかわらず、シカゴ、ロサンジェルスなどからも15名ほどが集まってくれた。テロ後の愛国主義が高まっていたときであるにもかかわらず、彼らの反戦意識はなお衰えず、戦争による報復には慎重な姿勢を語るのであった。僅か1日の再会であったが、それ以来、彼らは毎年1度は集まっている。その様子を伝えるメールと添付された写真は楽しいものだ。

(掲載日:2004/10/25)

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