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おかしら日記
2005.01.27

『阿吽の呼吸』で合否判定|小島朋之(総合政策学部長)

1月から2月そして3月は大学がもっとも忙しい季節だ。期末試験がすでにはじまり、入学試験は看護医療学部が2月13日、総合政策学部が19日、環境情報学部が20日で、卒業式は3月23日、そして4月3日の入学式に向けて準備もしなければならない。

いまは試験を実施し、採点する立場になったが、それでも試験を受け、採点される学生時代のことを思い出すことがある。いつも間際のにわか勉強でなんとか潜り抜けてきた、という内心忸怩たる反省の念が思い出させるのであろう。冷や汗を流して思い出す試験の一つが、博士課程の入学試験である。

1969年4月から、慶應義塾の大学院博士課程に進んだ。その入学試験はいまほど制度化されておらず、英語と第2外国語の試験と面接であった。英語の筆記試験はそれなりにできそうであったが、問題は第2外国語の試験であった。当時から中国政治の研究のために中国語を自学自習していたが、それは第2外国語の試験科目に入っていなかった。そのために教養課程で履修したドイツ語を選択せざるをえなかったが、課程修了以後、まったくご無沙汰であった。試験は面接の際に行われることになっていたので、もうその場しのぎでやるしかないと覚悟した。面接場に入ると、私の恩師の石川忠雄先生に加えて、日本政治史研究の中村菊男先生とドイツ政治思想史研究の多田真鋤先生が待ち構えていた。

そこで奇跡が起こった。ドイツ語試験が始まろうとしたとき、多田先生が「小島君は私の大学院での演習を履修しており、彼の学力はよく分かっているので、ドイツ語の試験はもうやらなくてもよいですね」と言ってくれた。恩師の石川先生は当然ながら、「他の学生と同様にテストをしてください」と主張された。もう忘却の彼方であるが、そこで少し議論があったはずであるが、結局わたしのドイツ語能力は試験なしで認定され、無事博士課程に合格した。実にホッとしたことを、いまでも想い出す。

こうした試験のかたちは、当時では学内進学の場合に異例というわけではなかったのかもしれない。時間をかけた指導・観察の中で学生の能力を判断できれば、「阿吽の呼吸」で合否が決められてもよいということだ。いつかSFCでもこうした「阿吽の呼吸」による合否判定ができればいいなあと思っている。多田先生には深謝あるのみである。

その多田先生の縁がいままた、蘇っている。SFCの初代事務長で総合政策学部の教授でもあった故孫福先生が理事長を務められた財団法人マスダ教育財団で、私も今春から理事に就任することになった。マスダ教育財団は長年にわたって、留学生の支援活動を進めており、SFCの留学生もお世話になっている。この財団の創設者がいまはスイスに在住する枡田政治氏であり、理事就任にあたって定宿とされている帝国ホテルでお会いすることになった。枡田氏は慶應義塾の大先輩で、食事中の話のなかで、多田先生の学生でしかも先生の結婚の際に付添い人をつとめられたというのである。もう否も応もなく、理事をお引き受けさせていただくしかない。留学生だけでなく、SFCの学生の海外フィールドワークなども支援していただければ、わたしだけでなくSFCの学生もまた、間接的に多田先生の「阿吽の呼吸」の恩恵をこうむることになる。

(掲載日:2005/01/27)

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