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おかしら日記
2010.12.13

雪のヨーク|阿川尚之(SFC担当常任理事)

ダラムの駅で乗った急行列車が、だいぶん遅れてヨークの駅に着いたとき、北国の12月初旬、日はもうとっくに落ち、辺りはすっかり暗かった。小雪の舞う中、駅に隣接したロイヤル・ヨーク・ホテルまで歩く。季節外れの寒波がイギリス全体を覆い、気温が異様に低い。わかりにくい正面玄関をようやく見つけてなかに入り、チェックインを済ませる。あてがわれた4階(イギリス流にいえば3階)の部屋にカバンを運びいれ、一息ついた。

ヨークを訪れるのは2度目である。今から20年近く前、思い立ってノルウェーの沿岸航路を走る貨客船の旅にでかけた。往路イギリスへ飛び、エジンバラまで特急列車で走る。その日のうちにとんぼ返りして、この町に立ち寄った。駅の近くに国立鉄道博物館があり、それが見たかった。宿を取ったロイヤル・ヨーク・ホテルの部屋の窓から、駅のホームを覆う鉄とガラスでできた大屋根の曲線が見えた。発着の案内放送が直接聞こえ、目の前を列車が南北に行き来した。

今回はロンドンとケンブリッジでの用事を済ませ、前日の夜、雪の中を列車でダラムに到着。この日ダラム大学を訪問して慶應との将来の交流について話し合ってから、ヨークまで戻った。そのままロンドンへ下って翌日の飛行機を待ってもよかったのだが、ロンドンのホテルは高い。それなら途中ホテルの安いヨークで一泊しよう。というのは口実で、懐かしいヨークのホテルに再び泊まり、鉄道博物館を再度訪れたい。そんな目論見があったのである。

外は寒くて真っ暗で、このままホテルにいる方が楽だが、この町に来る機会は滅多にない。それに暗いとはいえ、まだ午後5時を過ぎたばかりである。マフラーを首に巻いてオーバーを着て、思い切って再び外へ出た。左側を見ると、ヨークの大聖堂が塔の灯りをつけて輝いている。とりあえずあそこに行こう。家路を急ぐ人たちに交じり、滑りやすい道を、ゆっくり城壁に沿って歩きはじめた。

ヨークは古い町だ。ローマ人がブリタニア島を支配していた頃、皇帝の北の宮廷が置かれたという。ローマ人が去ったあとには、海を渡って侵入してきたヴァイキングの支配をしばらく受ける。北部イングランドの人は、人種的にスカンジナビア人と近いらしい。ヨークの聖堂は、キリスト教に改宗したノーサンブリアの王エドウィンの洗礼のため627年に建てられた小さな木造の建物がその始まりだという。その後石造りになった教会がノルマン人によって破壊され、1080年頃改めて建築がはじまったのが、現在の大聖堂の原型である。

凍てつく道を歩き、聖堂の正面にたどり着いた。まったく人影がない。入り口の大きな木の扉を推したが、開かない。別の扉もだめ。ガイドブックによれば午後6時まで公開されているという。念のため聖堂の側面に回り別の扉を推すと、今度は開いた。入り口にガイドが2人立っていて、入っていいかと尋ねると、少しためらうそぶりを見せ、しかし小声で、「もう閉めたのだけれど、聖堂の回廊を歩くだけならいいですよ」とのこと。さりげなく、そばに置いてある献金箱への寄進を求められる。コインをいくつか入れて、中へ入った。

一歩聖堂の内部へ足を進めて、ガイドがなぜ私を入れるのを一瞬ためらったのか、わかった。聖堂の中心から東へ伸びる内陣(英語でQuireという)の中で礼拝が行われていたのである。内陣の正面に立つと、装飾を施した鉄の扉越しに中が見える。左右に白衣をまとった聖歌隊の少年たちが陣取り、高らかに讃美歌を歌う。その奥、正面中央に祭壇があって、司祭たちが式を執り行っている。ときどき聖書からの一節が読まれ、説教がなされ、パイプオルガンが重厚な音を響かせ、再び聖歌隊が歌う。QuireというのはChoirの古い綴りであるらしい。そうか。聖歌隊のことをChoirというから、Quireはもともと聖歌隊が歌う場所という意味なのだ。

これまでもイギリスの田舎の教会で、聖歌隊の合唱を聴く機会が数回あった。古い石造りの教会は、音響がすばらしい。少年たちの歌声がまるで天使の声のように響く。思わずキリスト教に改宗したくなるほどである。そしてこのヨークの大聖堂は、大きな石をいくつも積み上げて到達したアーチ型の天井が、とてつもなく高い。一番高いところで何本も梁が交差する、その天井のてっぺんで歌声が反響し、地上へと降りてくる。

私はすっかり聴き惚れて、内陣の前でいつまでも歌声を聴いていた。案内人も、別に咎めない。静かにしていれば許してくれるらしい。内陣の入り口を囲む西向きの壁面はQuire Screenと呼ばれ、一面に装飾が施されている。そしてその上に、パイプオルガンの巨大なパイプが陣取っている。なかでも壁面の中段には、入り口の左側に7人、右側に8人、歴代英国王の彫像が並ぶ。ノルマンの征服を率いたウィリアムI世からヘンリーVI世までの、15人だそうである。ちなみにウィリアムI世は11世紀、ヘンリーVI世は15世紀の王さまで、これらの彫刻が完成したのは15世紀の末であるらしい。

王はそれぞれ剣をまっすぐに立てて握る。よく見ると少しずつ異なった衣装を身につけ、さまざまな表情をしている。そのほとんどが法衣のようなのを全身にまとっているけれど、中に一人だけ、すね毛丸出しの野武士のような王がいる。髭を生やした無骨なのがいれば、つるりとした顔で意志の弱そうなのもいる。15人の王は500年のあいだ、この場所でそれぞれじっと動かずにいた。聖歌隊の歌声を聴いても、にこりともしない。高い天井からぶら下がる針葉樹の葉をあしらった丸い飾り物が、聖堂内の空気の流れによってゆるやかに回転する。そのたびに上からの照明をわずかにさえぎり、王たちの顔に影となって映る。彼らの表情がかすかに変化する。

古の 荒ぶる君は ヨークなる
聖堂(みどう)の石と なりにけるかも

礼拝が終わり、外へ出た。夜の空気はますます冷たい。凍てついた町の目抜き通りをしばらく行くと、正面にベティーズというガラス窓に囲まれたティールームが現れた。ここでサンドウィッチとスコーン、それにティーで夕食を取った。ウェートレスがみな制服にエプロンをして給仕する。男性客のほとんどがネクタイを締め、婦人客もまたこぎれいに着飾っている。初老の男性が時々現れては、やわらかにピアノを弾く。これほどイギリスらしい場所を、イギリスでも見たことがない。昔読んだイギリスの童話のなかにいるような、不思議の国のアリスとウサギが、ひょっと顔を出しそうな、錯覚を覚えた。

店を出て、ホテルへ向かって歩く。雪がまた降り始めた。歩きながら、今回の出張では、ずいぶんいろいろなところを回ったと思う。往路講演のために立ち寄った台湾、そこで乗った電気機関車が引く昔風の列車。空港へ向かう途中、闇のなかを一瞬で駆け抜けた台湾の新幹線。ケンブリッジで訪れた3つのカレッジのたたずまい。雪煙を巻き上げながら平原を疾走するイギリスの特急列車。ダラムに着いた翌朝、凍りついた坂道を上って訪れた、こちらも有名なノルマン様式の古い大聖堂と、その隣の今はダラム大学のカレッジとして使われている城館。後者の食堂は、映画ハリー・ポターの魔法使いの学校の場面で、ロケに使われたという。

ノルマンの 聖堂(みどう)と城の 立てる丘に
雪舞い降りぬ 御使いがごとくに

寒いヨークの夜も次第にふけ、ウース川にかかる橋を渡って、城壁の上をホテルに向かって歩き続ける。突然、背後から大聖堂の鐘の音が聞こえはじめた。音色の異なる多くの鐘が一斉に鳴り、重なって響きあい、それがいつまでもやまない。この鐘は100年前、500年前、もしかしたら1000年前にも、聖堂の高い塔から同じように町じゅうに鳴り響いたことだろう。明日はロンドンを発って東京へ帰る。三田へ戻ったら、また仕事がたくさん待っている。クリスマスが近い。

(掲載日:2010/12/13)